タイ人で初めて5つ星ホテルの総料理長を務め、テレビ番組『アイアンシェフタイランド(タイ版料理の鉄人)』に出演し、あらゆるジャンルの凄腕シェフと競い合い、勝利を収めた男。
——ポンタワット・チャルムキッティチャイ。通称イアン・キッティチャイ氏。
類稀なる料理のセンスはテレビの前に座る人々を魅了し、レストラン運営や料理スクールなど数々の事業を成功に導いてきた。彼が手がけている代表的なレストランは『Issaya Siamese Club』。モダン・タイ・キュイジーヌで知られるこのレストラン、2017年に引き続き、今年も、『アジアのベストレストラン50』に選出されている。
挫折など経験したことのない人生を送ってきたかのように見えるイアン氏。セレブリティシェフと形容されることもあるが、彼は少年時代に、母親が営むカオゲーン屋(ぶっかけ飯屋)を、7人の姉と共に手伝ってきたという意外な過去を持つ。
今回のインタビューでは、彼の幼少時代から料理の鉄人に至るまでの道のりを話していただき、さらに彼が推すタイ食堂3店舗を教えてもらった。
目次
タイ食堂の息子が、料理の道を志すまで
「実家はショップハウスで、朝は豆乳を、日中はクイッティアオとカオゲーンを売っていました。一年365日、休まず営業していましたよ」
タイの典型的な華人の家庭に育ったイアン氏。裕福な家庭に生まれ育ったかのように見られる氏だが、母親はぶっかけ飯屋を年中無休で営み、8人の子供たちを育て上げたという、けして裕福とはいえぬ家庭環境だった。
末っ子のイアン氏は、母親の食堂をよく手伝わされた。遊び盛りだった年齢だけに、友人と走り回りたかっただろうが、小さな両手は背を支え、懸命に働く母親の姿を見上げていた。
16歳になった。イアン氏はビジネスコースの履修を志した。母親は息子の夢を叶えるべく、資金を捻出。念願叶って渡英し、ホテルのレストランでアルバイトを始めた。当初は皿洗いやコーヒーの給仕をしていたが、アシスタントシェフの病欠をきっかけに厨房を手伝い、料理人という職業を意識するようになる。学ぶつもりだったビジネスコースを、カレッジでの料理コースに変更までしたが、その時点ではまだ料理人の道を選ぶには至らなかった。十代の自分は考えが子どもだったから、と氏は振り返る。
2年後、長姉が友人と渡豪したのをきっかけに、家族全員が移住したオーストラリアに身を寄せた。タイ航空の職員が投宿するホテルの近くで、姉はタイ料理レストランを開いていた。氏はそこで厨房に入り、調理を手伝うようになる。
「レストランを手伝っていたその頃、自分が好きな料理の道を生涯の仕事にしようと決意を固めていました。空いた時間に書店で料理人に関する本を探し、ポール・ボキューズといった著名なシェフの経歴を読むのが好きでね。母親が食堂で休みなく働く姿を間近で見ていたので、自分にそれができるのかと問うたときに、メンターやお手本となる人を探していたのだと思います」
一昔前は、海外に渡って料理を学ぶというタイ人はほぼ皆無に等しかったという。両親は氏に医師や弁護士の道を目指してもらいたかった。数年後に帰国した際、勤め始めたホテルのレストランの初任給が8千バーツと知ると、プラスチック工場を営む叔父はあきれた様子で首を横に振った。それから毎年のように給与を訊ねられたが、昇格と共に給与も上がり、5年目の給与を聞いた叔父はその額に驚き、それ以降は話題にしなくなったという。料理人が高額な給与を手にするというのは、タイの社会通念の中では意外なことだったからだろう。
ホテルの一料理人から、実業家としての道へ
ホテルで働いていた頃の氏に、ある同業者がこんな問いを投げかけた。
「君は、レストランのオーナーシェフになりたいのかい、それともホテルの総料理長になりたいのかい?」
当時、23歳だった氏の答えはこうだった。
「厨房に立って、料理を作ることさえできれば幸せだから、どちらでもいい」
料理人としての模範解答のようにも思えるが、同業者は、現状と変わらないようではだめだ、自身の成長と共に生き方や未来も変わっていくのだから、と諭すように話した。20年以上も経った今、このエピソードが引き合いに出されるあたり、若き氏にとっては非常に印象的だった言葉に違いない。
その後、5つ星ホテルの総料理長を務めたが、それが本当に目指すべき道なのか、自身にもわからなかった頃に、ニューヨークでタイレストランをやらないかという話が舞い込む。これは、氏の人生にとって大きな転機となった。自分の好きなこと、料理作りがビジネスとつながった瞬間である。
「料理人というのは芸術家気質なところがあり、金のことはさほど興味がない。自分がここまで来られたのも、妻のおかげだと思っています。彼女がマネジメントを担当してくれるので、自分は好きな仕事に専念できる」
ニューヨークの店には、在米のタイ人オーナーシェフが、各地からこぞって来店した。彼らは氏の料理に唸り、自分の店を手伝ってくれないかと懇願した。その需要に応えようと、レストランコンサルティング事業を開始する。スペインやインドにも出店した。様々な業種の人と知り合うことで世界が広がり、事業も軌道に乗っていった。
レストランのオーナーシェフから、料理の鉄人へ
私がイアンシェフの存在を初めて知ったのは、6~7年前にオンエアされていたタイのテレビ番組、『シェフ ムー トーン(黄金の腕のシェフ)』だった。30分弱のその番組は、前半では氏が地方に赴き、地元の食材でアウトドアクッキング、後半はスタジオ収録で創作料理を作る、という内容だった。テキパキとよどみなく、かつはつらつと楽しそうに料理を作る氏を見て、料理番組好きの私はすぐにファンになった。
だが、今現在、テレビで見かける氏は、テキパキとよどみない手つきは変わらないが、調理中の表情は笑みを見せる余裕もなく、まさに真剣そのもの。それもそのはず、『アイアンシェフタイランド(タイ版料理の鉄人)』の『革新的スタイルの洋食の鉄人』として、カメラの前で国内外のシェフからの挑戦を受けているからである。
「番組出演のオファーをいただいたときは、正直悩みました。理由はって? 料理人なら、誰もが勝負に勝ちたいでしょう(笑)もちろん、腕を認められたということで、誇らしいとも感じていますよ」
テレビに出演することで顔が知られ、レストランに来店した客の中には、氏と話したいという人もいるという。最初は、客の前でどうふるまえばいいのかすらわからなかったそうだが、今では雑談を交わせるようになり、料理の味について感想を聞いたりと、学ぶことも多いそうだ。
食の安全と共に、品質の良いものを提供したい
インタビューの2日前、私は『Issaya Siamese Club』でランチをいただいた。8品で構成されたコース料理は、それぞれの持つタイ料理の基本に忠実に、かつ新しいエッセンスを取り入れた創作料理となっていた。麺の代わりに細く切ったサーモンを用いた「パッタイ サーモン(サーモンのパッタイ)」や、骨付きラムを使った「ゲーン マッサマン カー ゲ(ラムシャンクのマッサマンカレー)」など、斬新な料理のアイデアは一体どこから湧いてくるのだろう。
「海外でレストランを営んだ経験を活かして、地域の特性や季節に合わせたメニューを生み出しています。例えば、ニューヨークの人は健康志向で、糖質を摂るのを好まない。そこで、麺の代わりに生のまぐろを使ったパッタイを提供していました。でもこのメニューは、加熱せずに和えるのみなので、口当たりがひんやりしていて冬には適さない。逆に、冬には体が温まるカレーなどのメニューが好まれる。タイでは、このパッタイメニューをアレンジして、サーモンに替えています」
サーモンの話題が出たところで、氏は真顔になって食材の話を始めた。同店で使うサーモンは、ラベルルージュ認証のスコットランド産サーモンのみで、ノルウェー産は使わない。理由は、「着色しているから」。店で使う食材は、良質であると共に、食の安全に配慮したものであるべきだと氏は考える。鶏肉はカオヤイから、虫を飼料として育った自然養鶏のものを取り寄せている。魚はジャンタブリー県から天然のものを、生きたまま店へ運んでいる。品質の良いものを提供したいという氏の信念は堅い。一般的な食材を使っていたら、その辺の店となんら変わりはないからだ。
「料理を提供してお金がもらえたらそれでいい、というわけではない。自分でも食べないようなものを店で出すなんて、職業倫理に反するでしょう。日本の料理人は、ものすごく食材を厳選するけれど、自分たちがそれができないというのはおかしいと思うから」
食生活はヘルスコンシャス、なんと納豆も!
氏のレストランで提供される料理は、味もさることながら、華やかさも兼ね備えたスペシャルな料理だと感じたが、氏自身は、毎日どのような食事を摂っているのだろう。
「ヘルスコンシャスを心がけています。実は2ヶ月ほど前から菜食を始めて、体重が5kg落ちました。胃が小さくなったのかなあ。朝食は、自家製のアーミンドミルクに浸したオーバーナイトオーツに、つぶしたバナナを入れたものを食べて、昼食は豆腐に納豆(笑)納豆は、一時期ものすごくハマって、『大戸屋』で納豆とオクラを毎日のように食べていましたよ」
夕食には、茹でたビーツをスムージーにしたり、昆布だしの野菜しゃぶしゃぶを食べることもあるのだとか。菜食を始めたのも、「歯を矯正しているので、肉類が咀嚼しづらいからという理由もあるんだけどね」と氏は明るく笑う。
タイ料理界をけん引する天才
イアン氏は、自身のレストラン『Issaya Siamese Club』で私とのインタビューに応じてくれた。質問に対し深く考え、言葉の一つ一つにしっかりと想いを込めて返す。料理の話になると両手を使い、身体から熱気が放たれ、目に壮絶な力が宿り、穏やかなイアン氏が鬼神のように映る瞬間があった。
インタビュー中だったにもかかわらず、彼が持つ不思議な魅力に吸い込まれた。イアン氏が持つ料理に対する尋常ではない好奇心と集中力。”天才”と呼ばれる男の根源は、幼き頃、母親が休まず営んでいた食堂で育まれたものなのかもしれない。
イアンシェフが通う、お薦めタイ食堂はこの3店!
イエンタフォー サオ チンチャー ナーイ ウアンのクイッティアオ イエンタフォー
「昔から麺類が好きなのと、華人の家系なので、あまり辛いものは食べないんです。子どもの頃からイエンタフォーが好きで、特にここのスープの味が気に入っています」
ホイ トート チャウレーのホイ トート
「食材となる貝が新鮮だし、パリッパリの食感が好きです」
K-Villageのウォータークレス
「オーガニックの野菜を使っていて、味は庶民派、価格も良心的。妻と一緒に行って、野菜のたっぷり入ったゲーンリエン(แกงเลียง)やゲーンソム(แกงส้ม)、ガパオライスなどを食べます」
https://web.facebook.com/WaterCressRestaurant/
番外編
●クイッティアオ ター サイアム
チェーンのクイッティアオ屋なんて意外!と思ったら、ショッピングモールでのお仕事などの際にご利用されたのだとか。
●博多一幸舎の黒ラーメン
焦がしニンニク油で黒く染まったスープが、他にはないメニューだと驚かれたそう。
取材・文/増成ヒトミ 写真・編集/西尾康晴