カオマンガイ、クイッティアオ、バミー、カオカームー、パックブンファイデーンetc…。
タイ料理を好まなくとも、耳にしたことがあるタイ料理名もあるだろう。バンコクを歩けばこれらを専門に扱った食堂や屋台は無数にあり、たとえ名も無き屋台であっても、安価で唸るほど旨い飯に出会えるのは珍しいことではない。
冒頭で紹介したタイ料理たちは、”THE タイ屋台料理"といった感すらあり、タイ料理を代表するような存在感を示している。
ところがカオマンガイやクイッティアオ、バミー、カオカームー、といった料理は、昔からタイに存在していた料理ではない。100年以上前に移住してきた華僑たちによってタイへ持ち込まれ、”タイ中華”として根付いた料理である。
華人たちがタイを目指し始めたのは1800年代後半。そのほとんどが華南地方出身者で、汕頭を含む潮州エリア、広東、福建、海南など。彼らはタイだけではなくベトナムやマレーシア、インドネシア、フィリピンなど東南アジア広域に移り住み、各国の文化に適応し、コミュニティを形成していった。
コミュニティはそれぞれの国で発展し、タイでは1890年代に中華街のヤワラートが形作られていくことになる。華僑たちによって作られたこの街は、中国から移住してくる者たちを迎え入れ、規模を大きくしていった。
タイを新天地として移り住む華人たち。
そんな人々の中に海南島からやって来たひとりの少年がいた。
当時13歳の少年の名はプレン・ラチャチャイブン(เปล่ง รัชไชยบุญ)。
十数年後、バンコクで21店舗を展開することになる、タイ中華レストラン『SEE FAH』の創業者である。
『SEE FAH』とは
日本人向けのガイドブックで取り上げられることもなく、在住日本人からもあまり注目されない『SEE FAH』というレストラン。創業したのは1936年。前述したように現在バンコクで21店舗を展開し、タイ人には広く知られた老舗レストランだ。『SEE FAH』の特徴は、古典的な”タイ中華”メニューを柱としながら独自のメニューも提供する”タイ中華レストラン”という点である。
私が初めて訪れた『SEE FAH』はタニヤ通りにある支店だった。
当時の職場が近かったこともあり来店しやすい環境ではあったものの、ファミレスのような内装に気が乗らず、数年間足が向くことはなかった。
そんな私が『SEE FAH』へ来店してみようと思い立ったのは、知人から「『SEE FAH』のラートナーが旨い」と聞いたことがきっかけだった。
私は勧められたラートナーを注文。これが旨かった。『SEE FAH』のラートナーの価格は100バーツ以上と、食堂とは2倍以上の価格差があるため一様に比べることはできないが、そこらにあるラートナー専門店よりも明らかに旨い。店構えからファミレスをイメージしていたので、それほど期待していなかったことも大きいだろう。
良い意味で裏切られた。
この日から私は『SEE FAH』に通い、日替わりでいろんなメニューを試した。ペットヤーン(ローストダック)、バミー麺、イーミー(麺料理)、カオナーガイなど、食べたタイ中華はどれも秀逸だった。しかも『SEE FAH』はタイ中華だけではなくタイカレーやパッタイといった料理まで揃えている。
創業して80年以上、バンコクで21店舗を運営するタイ中華レストラン。”タイ中華”に特化し、これほど多店舗展開している飲食店は他に知らない。どのような人物が創業し、今に至ったのだろうか。
来店するたびに刻まれるこの店への興味は、次第に膨れ上がっていった。
中華街ヤワラートの片隅でスタートした名も無き屋台
「1936年に創業したので、今年で83周年になります。私のお爺さんが創業者で父親と叔父が2代目、私は3代目になります」
静かな口調で語り始めた彼は、『SEE FAH』の3代目であるコーン・ラチャチャイブン(กร รัชไชยบุญ)氏。彼一人でグループを取り仕切っているわけではなく、2代目を含め親族5人が中心となって運営しているという。
創業主のプレン氏は海南島出身の華僑で、13歳の時に単身タイへ移住。彼は荷役の仕事などさまざまな仕事に就きながら、こつこつとお金を貯めていく。そうして蓄えた資金をもとにヤワラートのラチャウォン通り(ถนน ราชวงศ์)に小さな店を出店した。
当初はアイスや飲み物だけを売っていたが、タイ中華の料理もメニューに加えていく。
「バンコクの華僑で多いのは潮州出身者です。創業者は海南島出身者でしたが、海南料理をやろうとは思わず、すでに広まっていた潮州料理を基本とし、タイ人の舌に合わせた料理を出していきました」
これはタイだけに限らず東南アジア全般にいえることだろうが、華僑たちは居住する国の文化に対し柔軟に適応し溶け込んでいく。タイに住む華僑たちは、タイ人が持つ味覚の嗜好性を研究し、”タイ中華”をタイ人の庶民食にまでじわじわと普及させた。
普及したタイ中華とは、海南島出身者が発案したというカオマンガイ、潮州の麺料理の粿条(グオティアオ)が由来となるクイッティアオ、福建のバミーなど枚挙にいとまがない。
”タイ中華”が食文化の1つのジャンルとして確立していく中で『SEE FAH』が生まれ、広まっていった。
多店舗展開しても妥協しない”こだわり”
『SEE FAH』本店が開店して10年ほどを迎えたころ、2店舗目を旧市街地のワンブラパー(วังบูรพา)でスタート。その後この支店は閉店することになるが、3店舗目をサイアムに出店。
そこから出店数を増やし、認知度を上げるためテレビコマーシャルでの広告戦略も展開した。
このコマーシャルを観た世代にとって本作品は印象深いようで、当時子供だったタイ人に聞くと覚えているという。
さらに、有名アーティストのポッド・モダンドッグ(ป๊อด โมเดิร์นด็อก)に依頼し、1993年には『SEE FAH』オリジナル曲もリリース。
1990年代、『SEE FAH』は積極的にメディアへの露出を増やしブランディングを高めていった。
以下YoutubeにアップされているのがそのTVCMとポッド・モダンドッグの曲だ。
一般的に”タイ中華”を出す食堂などは潮州や広東、海南など、出身地の特色を出しメニューが構成されている場合が多いが『SEE FAH』は違った。
潮州料理でもなければ海南料理を軸にしているわけでもない。潮州、海南、広東、福建など各地方の料理を巧みに取り入れ、タイ人の好みに合わせアレンジしていった。
そのことを表す料理のひとつがカオナーペット(アヒル肉乗せご飯)。調理方法は潮州と海南をミックスさせたスタイルで、皮をカリカリにさせ肉をジューシーにすることに成功。そしてこのメニューは『SEE FAH』の柱にもなっている。
彼らが提供する独自のタイ中華が大衆に評価されていったのは間違いないだろう。そこでもう一歩踏み込みたい。『SEE FAH』が評価されている”核”となるものは何なのか。
静かな語り口調だった3代目のコーン氏だったが、料理のことに話が及ぶと言葉に熱を帯び始め、身振り手振りの動作が激しくなる。
「『SEE FAH』ではいろんな具材を自社で作っています。魚の団子(ルークチンプラー)、エビの団子(ルークチンクン)、ムーデーン、ローストダック、ギアオクン(エビワンタン)、バミー麺など。自社で作っている調味料もあります」
料理で使う具材などの多くは自社工場で作っているため、クオリティーコントロールが徹底している。しかもそれぞれにこだわりがあるという。たとえばバミー麺。通常は小麦粉と鶏卵を使うが、『SEE FAH』では鶏卵を使わずアヒルの卵を使用。そうすることで細く柔らかい麺に仕上がるというのだ。アヒルの卵を使うことで原価が上がり販売価格にも反映されるが、創業主から3代目まで一貫しているのは”こだわり”である。
「私たちがバンコクで21店舗も出店できているのは、材料を選ぶ際の”こだわり”が変わらないからだと思っています。お客様はそういったところを評価してくれ、何度も来店してくださるのだと思います」
青く灯る蛍光灯のもとで
『SEE FAH』のメニューは、定番のタイ中華メニューだけではない。創業者が数十年前に開発した新メニューは今でも好評だ。
ひとつはクイッティアオ ラートナー プラーガポン(ก๋วยเตี๋ยวราดหน้าปลากะพง)。これはプラーガポン オッブモーディンという土鍋を使った魚料理と、ラートナー(麺料理)を掛け合わせてできた料理だ。
タイ中華ではないメニューでいえば、パッタイ。一般的にはタマリンドを使って甘くしているが、彼らはタマリンドを使用せずライムを絞って、既存のパッタイとは異なったさっぱりとした味に仕上げている。
他店との差別化を図るためにも、新しく開発した料理は年に幾度もメニューを飾る。取材時、2日前に出たばかりの新しいメニューがあった。
カオパットナムプリック(ข้าวผัดน้ำพริก)。
スリン県産のパガーアンプー(ปะกาอำปึล)とういお米を使ってみたところ、カオパットに適していたのでメニュー化に至った。新しい料理がメニューに定着することもあれば消えていくものもあるが、現在『SEE FAH』で扱っているメニューはおよそ120種。これだけの料理数を揃えていながら、冷凍物は一切使っていない。”こだわり”は他にもある。
MSGや添加物不使用。
お米はすべてオーガニック米。
こだわることができる点は徹底的にこだわり、妥協しない。
店舗がこれだけ増えても過度な合理化に走らない経営理念は、創業者の信念が脈々と受け継がれているからだろう。
「バミー麺もパッタイも、ギアオクンも味見してもらいたいです。どうぞどうぞ食べてください」
インタビュー中でありながら、コーン氏は私に料理を振舞ってくれた。アヒルの卵を使ったバミー麺。ライムを絞って仕上げたパッタイ。自社製の皮と具材を各店で包んでいるというエビワンタン。そして最後にはココナッツアイスクリームまで出してくれた。
「創業者のお爺ちゃんは店を始めたころ、このココナッツアイスクリームを出していたんです」
ヤワラートの片隅で始めた名もなき屋台。売り上げが少しずつ上がり、しばらくして小さな店舗を持つことができた。
このころメニューとして出し始めた料理は好評で、店名など持たなくても毎日のようにお客さんが来てくれた。
こじんまりとした店内、蛍光灯がみんなの笑顔を照らしてくれる。
不思議だったのは、蛍光灯の光がなぜか青く灯ることだった。
そんな蛍光灯を見て、客の一人がぽそりとこぼした。
「なんでこの蛍光灯は青く光るんだろうなぁ。ここの店まだ店名がないし『SEE FAH(水色)』っていう名前でいいんじゃない?」
狭い店内。青い光に照らされたプレン氏は、微笑みながら頷いた。
取材・撮影・文/西尾 康晴